エマオに向かって

「ところで、ちょうどこの日、弟子たちのうちの二人が、エマオという村に向かっていた。」ルカ24:13

私の信仰とその経緯 #2

▶︎ #1

3. 高校2年生、夏

この頃はよく本屋に行って、英語の参考書や留学関連の書籍を読み漁っていました。その日も、いつものように私が本屋で立ち読みしていると、一人の青年が私に話かけてきました。

K「すみません、留学に関するアンケートを行っているのですが、協力していただけませんか」

彼は早稲田大学の院生(ここではKとします)でした。私はもちろん承諾して、彼に留学への想いをたくさん語りました。すると彼は、今度、留学セミナーがあるからぜひきて欲しい、と私を誘いました。そのセミナーでは、留学した早稲田生が様々な実体験を話してくれるそうで、私には願ってもない機会でした。

 

実際、そのセミナーは素晴らしい内容でした。私は、Kの紹介で数人の早稲田生とも知り合うことができ、個人的に色々な疑問や悩みも相談する機会に恵まれました。

 

それから、Kとその仲間たちとの交流は深まっていきます。彼らは、国際交流や留学支援を行うNGO団体を運営しており、その団体は定期的にボランティア活動を含め様々な活動を行っていました。それらの活動に参加することは、私にとって大きな意味がありました。というのも、海外の大学に進学するためには、学業成績の他に課外活動の実績が重視されるからです。そういう理由もあり、私は彼らが主催する活動に積極的に参加するようになっていきました。

 

彼らの中でも、特に私の面倒をよく見てくれた先輩が、Kの他にもう一人いました。ここでは、Rと呼ぶことにします。Rは、早稲田大学国際教養学部の3年生で、TOEFLの点数はなんと90点。Rは私にとってまさに目標とする人物で、その英語力の他にも起業家としての才能も持つ、非常に優秀な人物でした。

 

4. バイブルスタディーへの誘い

彼らの活動に参加し始めて数ヶ月が経った頃、突然Rが「俺と一緒に聖書を読まないか」と私に言ってきました。どうして急に聖書なんだろう…?と当惑しつつも。私はRの話を聞くことにしました。

 

R曰く、聖書は現代人にとっても大切なことを教えてくれる書物であり、R自身も聖書に励まされながら、この活動に取り組んでいる、ということでした。そして、Rにとって私は本当に信頼できる仲間だからこそ、私にも聖書の素晴らしさを知って欲しい、とRは語ります。

 

私にとって「聖書の勉強」というのはあまりにも怪しさ満点で、はじめは断ろうかとも思ったのですが、それにも増して尊敬するRがそれほど言うなら、一度読んでみてもいいかもしれない、そんなふうに思い、私は承諾することにしました。

 

そういうわけで、それから毎週、私とRはバイブル・スタディーを行うようになります。そして、それが私の人生における一つの分岐点となりました。

 

***

 

さて、Rとのバイブル・スタディーが始まって数ヶ月すると、当初の疑念は徐々に薄れていき、私は純粋に聖書の学びを楽しんでいました。ある日、Rは「いつものカフェじゃなくて、今日は俺たちの家でやろう」と言って、私はRの住むアパートへ案内されました。「俺たち」というのは、そこにはRやKを含む5人ほどの学生たちが共同生活をしていたからで、その住人は全員、例のNGO団体のメンバーであり、顔馴染みの面子でした。

 

私が驚いたのは、彼らもまたこのバイブル・スタディーの参加者だった、ということでした。とはいえ、既に顔馴染みなので別に嫌ということもなく、むしろそれからは和気あいあいとしたグループ・スタディーとなり、私はますます聖書を学ぶのが楽しくなっていきました。学びが終わると、みんなでご飯を作り、一緒に食べて、そのあとは各々勉強をしたり、たまには遊びに行ったりもしました。

 

教員志望のKは相変わらず面倒見がよく、本当の兄のような存在でした。それから、よく勉強を教えてくれるRや、他の先輩に囲まれ、私は「この場所が自分の居場所なんだ」と思うようになりました。そして同時に、どれほど私がこうした”家族的な絆”に飢え乾いていたか、気付かされていきます。この頃、両親とは口も聞かないような状態でした。それでも思春期の私は、心のどこかで自分の話を親身に聞いてくれる存在を必要としていたのだと思います。そんな私にとって、彼らは「第二の家族」でした。

 

そして、私はこの家族的な交わりのなかで、少しずつ、少しずつ、神さまの存在に心を開かれていったのです。

 

つづく

 

《伝道者3章11節》

11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。