エマオに向かって

「ところで、ちょうどこの日、弟子たちのうちの二人が、エマオという村に向かっていた。」ルカ24:13

私の信仰とその経緯 #4

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7. 教会デビュー

摂理において、初めて礼拝に出席する日は「教会デビュー」と呼ばれ、華々しい祝いの日でした。私はRと一緒に入場し、礼拝堂の一番前の席に座りました。それはまるで、結婚式のような雰囲気です。そして、牧師から信者たちに私の紹介がされると、割れんばかりの拍手を受けました。

 

そして、礼拝が始まります。礼拝では、賛美が歌われ(喉が枯れるほど大きな声で歌う)、鄭明析が獄中で書いた説教原稿が牧師によって代読されます。女性信者の中には、感動で涙する人も多くいました。

 

そうして約2時間にもおよぶ礼拝が終わると、それぞれのシェアハウスに戻り、いつものようにバイブル・スタディーが始まります。

 

***

 

ところで、私には大好きな賛美がいくつかありました。そして、それらの曲は私にとって精神的な支えでした。一度家に帰れば、摂理での至福に満ちた時は終わり、現実に引き戻されます。私は親との関係が悪かったため、家にいることは余計に苦痛でした。そんな時、私はよくマンションの非常階段で、誰にも聞こえない声で神さまに祈ったり、小さな声で賛美を歌って、心を慰めていました。ただし、賛美の音源をコピーすることは固く禁じられていたので、メロディーはすべて覚えなければなりませんでした。

 

摂理では、秘密主義が徹底されていました。つまり、摂理の情報を友人や家族などに口外してはいけないのです。そのため、賛美が収録されたCDを借りるといったこともできませんでした。

 

それでも私は、どうしてもある賛美の音源が欲しくて、そのことをKに相談します。するとKは、当時教育実習を行なっていた学校に朝早く向かい、私のためにピアノでその曲を演奏し、録音してきてくれたのです。音源を渡された時、私は涙が出るほど嬉しかったのをよく覚えています。

 

Kは、私が両親と不仲で家に居場所がないことを知って、私の本当の兄になろうとしてくれていました。だから、彼はどんな時も私の悩みをよく聞いてくれました。そして、彼はいつも最後には私を抱きしめてこう言うのです。

 

「僕は君を愛してる。僕は君を愛しているよ。」

 

私は親からも言われたことのない「愛している」という言葉を聞いて、確かにそこに”救い”を感じました。

 

つづく

 

《オアシス》

この地球を見おろす時  あなただけが私のオアシス 

あなたの心の止まり木に  この羽を休ませたい 

羽を伝う涙も 震える喜びも感じているのか

一つになり 飛び立とう 今 ゆく道共について来てくれるか   

あなたの中に生きている  あなたの中で笑ってる

あなたと共に泣いている この私を感じてみて  

あなたの中で歌ってる あなたの中で語ってる

あなたと共に生きている 血の通った私を見つけて 

一人でいると思うのか  私は両手伸ばしているのに

一人きりなんて どうして言えるのか

こんなに近くにいるのに  今すぐここでこの体 

あなたに見せたらわかるのか でもないからだ見せられない

苦しみさえ 愛ゆえ言わない  あなたのために生きている

あなたが知らずに寝ているあいだも 命にかえて愛し抜く

あなた一人に会いに来た 御子主だ 

ほら、もう戸の前まで近づいている

私が今たたけば あなたはすぐに出てこれるか

問うてみなさい 今 出てこれるか