エマオに向かって

「ところで、ちょうどこの日、弟子たちのうちの二人が、エマオという村に向かっていた。」ルカ24:13

私の信仰とその経緯 #3

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5. 神さまと出会った日

季節は移り、秋になっていました。

いつものようにバイブル・スタディーに参加した私は、帰り道をひとり歩いていました。すっかり陽が落ちるのが早くなって、空には夕陽が赤々と燃えています。

 

私はずっと心の中に疑念を抱いていました。

彼らと過ごす日々はとても楽しい。でも、彼らを本当に信用してもいいのだろうか。

聖書を学ぶのもすごくおもしろい。でも、神さまなんて本当にいるのだろうか。

そんな疑いが、いつも心のどこかにありました。

 

その日も、そんなことを頭の中でぐるぐる考えながら、歩いていました。

 

 でも、

 もしかしたら、

 もしかしたら、

 神さまっていう存在が”いてもいいかもしれない”

 

ふと、そんな考えが頭に浮かびます。

 

 神さまがいるかどうかなんて分からない

 でも、もし神さまがいるなら、その神さまを信じてみたい

 

その時、私は神さまを信じました。

「心に受け入れた」と言う方が適切な表現かもしれません。

それは私の心にすっと入ってきて、私はとても気持ちが落ち着くのを感じました。

私はこの体験を生涯忘れることはないでしょう。

 

6. 明かされる真実

さて、それから時は流れて私は高校3年生になります。彼らと出会ってから、およそ1年が経とうとしていました。継続していたバイブル・スタディーも、いよいよ佳境に入っていきます。

 

しかし、そこで明かされたのは驚くべき真実でした。

「今日は核心となる最も重要な教義について、君に話すよ。」

その日のバイブル・スタディーは、いつもと違ってピリっとした重たい空気が流れていました。講師はいつもの先輩Rではなく、40代くらいの方でした。

「今日私が伝えるのは、再臨のメシアについてです。」

私の隣にはRが座っています。

「初臨のメシアは、君も知っている通り、イエスでした。しかし、イエスが十字架上で死んだのち、御子は再び天に戻りました。そして、二千年後に再臨のメシアとして選ばれた人物に受肉したのです。その方こそ、この三十講論を作られた方で、君も何度も聞いてきた『先生』と呼ばれる人物です。」

Rも私も、緊張した空気を感じて、思わず背筋が伸びます。

「その『先生』とは、鄭明析という方です。」

そこで私は、ようやく「先生」と呼ばれる人物の正体を知りました。それは、ある韓国人の男性でした。しかし、案外驚きはありませんでした。おそらく「先生」と呼ばれる人物が、教祖的な存在であることは何となく感じていたからです。

 

***

 

さて、ここで読んでいる方に色々と説明をしなくてはなりません。

 

実は、私が熱心に参加していたバイブル・スタディーは、韓国で生まれたキリスト教系カルト、摂理(現在の正式名称はキリスト教福音宣教会)によるものだったのです。教祖は鄭明析という韓国人の男性で、自らを再臨のメシアと称し、「三十講論」と呼ばれる教え(その内容は統一教会のものと酷似している)を布教しています。なお、鄭明析は女性信者に対する強姦致傷の容疑で起訴され、10年の実刑判決を受けています。

 

摂理の教義について、ここでは詳細を解説することはしませんが、私はとくに二つの教義が肝になっていると考えます。

その一つは、「聖書はすべて比喩で書かれている」というもの。この教義によって、あらゆる解釈が可能となり、最終的に「再臨のメシアは鄭明析である」という教義に至るのです。

摂理では、イエスの神性と復活を否定します。また、独自の三位一体理解を有しており、神の一位格である御子がイエスという人間に”憑依”した、と考えます。そして、イエスの死によって(それは救いの失敗を意味する)、霊である御子はイエスの体を離れ、天に戻ります(これが復活と昇天に相当する)。そして二千年後、再び御子は鄭明析を”再臨のメシア”として選び、彼に”憑依”します。そしてこの”再臨のメシア”が、イエスの成し遂げられなかった”完全な救い”を今度こそ達成する、という筋書きなのです。

 

私がバイブル・スタディーとして1年弱学んできたことは、概ね以上のような内容でした。ここで摂理の用いた手段とは、まず「国際交流」や「サッカーサークル」などと目的を偽って、学生を勧誘します。次に、ある程度の信頼関係が構築できたところで、「バイブル・スタディー」に誘います。そして、学びについて疑念や抵抗感を抱かなくなったタイミングで「再臨のメシア」についての教義を教えるのです。この段階は、まだ洗脳の初期段階と言えるでしょう。

 

このステップを通過すると、次に「教会デビュー」というイベントがあり、毎週日曜日に信者と礼拝を捧げるようになります。そして、過剰な献金と睡眠時間を削りながらの奉仕に追われていく日々が始まるのです。献金は、最低限の生活費以外の全てを捧げる必要があります(彼らが共同生活をしていたのはそのためです)。また、平日は深夜2時から始まる早天祈祷会に出席するため、ほとんど寝る時間はありません。そして今度は、自分が学生を勧誘し、三十講論を教える側になっていくのです。

 

***

 

そして、三十講論を修了した私は、いよいよ「教会デビュー」を果たします。それは、高校三年生の夏、Kが本屋で私に声をかけてから1年後のことでした。

 

つづく

 

《マタイ24章23〜27節》

23 そのとき、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。  24 にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。  25 さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。  26 だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる』と聞いても、信じてはいけません。  27 人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。