私の信仰とその経緯 #5
8. 失楽園
しかし、彼らとの別れは突然訪れました。
ある日曜日(教会デビューをした1ヶ月後くらいだったと記憶しています)、私はいつものように礼拝に出席し、帰ってくると疲れから何時間も眠ってしまいました。
夕方ごろにようやく目を覚まして、リビングに向かうと明らかに不穏な空気が流れています。何かが起きたことはすぐに分かりました。両親に席に着くよう促され座ると、父は一枚の紙をテーブルに叩きつけました。
「これは一体なんだ」
そこには「脳占領プログラム」と書かれています。それは、摂理で行われていた祈祷プログラムのリーフレットでした。母が私の寝ている間に、私のかばんの中からそれを見つけたのです。
突如として私は窮地に追いやられました。両親から摂理について問いただされた私は、もうそれ以上嘘を突き通せなくなり、あのバイブル・スタディーのことや教会のことについて、ぽつりぽつりと口を開いていきました。私が真実を語りだすと、父は泣き叫ぶように私を問いただし、母は教祖の犯した犯罪や、摂理の教義の破壊性について糾弾し始めました。
しかし、それでも私は摂理がカルトではないと信じていました。それは第一に、KやRの注いでくれた愛情が嘘とは思えなかったからであり、また教祖の犯罪については全て事実無根の冤罪であると教えられてきたからです。私は、両親に反論します。
「そんなに摂理がカルトだと思うなら、実際にその目で礼拝を見てみればいい!」
私は摂理の礼拝が真実なものであると信じて疑いませんでした。だからこそ、実際の礼拝を見れば、それが偽りではないことが分かると考えたのです。
***
その翌日、私と両親は摂理の教会へと向かいました。教会に着くと、私は牧師に事情を説明し、両親を説得してくれるよう懇願しました。すぐさま、両親と私と牧師の4人で面談が行われます。
面談は、「問題のリーフレットについて私が作成したものではないから分からない」と責任逃れを続ける牧師と、まくし立てるように摂理の問題を訴える両親との激しい口論となり、私はその狭間でじっと押し黙っていました。
私は当初、牧師が摂理の正当性を高らかに宣言してくれることを期待していました。しかし、実際にはそうではなかったのです。牧師の顔はずっと虚でした。「面倒なことになった」そういう顔でした。その表情を見るなり、私の中にあった期待はみるみる崩れていきました。そして私は、摂理が本当にカルトだったことを悟ったのです。
***
帰りのバスの中で、私の目には涙が溢れました。もうあの場所に行けないこと、私を心から慕ってくれた人たちにもう会えないこと、その喪失感が胸を貫くようでした。
両親が与えてくれなかったもの、それをようやく見つけることができたと思ったのに、それさえも両親に奪われた…。
少なくとも当時の私はそう思っていました。
思えば私が摂理にいた期間は1年と、非常に短いものでした。しかし、失った心を取り戻すには、それから先、長い長い時間を要することになったのです。
つづく
《詩篇55編1〜4節》
1 神よ、私の祈りに耳を傾けてください。
私の願いから身を隠さないでください。
2 私に心を向け、答えてください。
私は嘆きの中にあってうろたえ、不安です。
3 敵の声と、悪しき者の虐げのゆえに。
彼らは私に災いをもたらし
怒って襲いかかります。
4 私の心は胸の内でもだえ
死の恐怖が私にのしかかります。